2007年07月27日

SEMIに学ぶ

湿気が少ない空気に、夏の日差しが矢のように降り注ぐ朝、

自転車にマタがって事務所に向かって走っていた。
日差しはキツイが、湿気が少ないこともあって、
肌に当たる風がきもちいい。


運悪く赤信号でつかまってしまい、
快調に飛ばしていたところを止められたことへの不満と、
矢のような日差しにウンザリしながら、信号を見つめていた。

フと気がつくと、街路樹のSEMIがワシャワシャ鳴いている。

都会のSEMIは種類が少ない。
田舎にいたころには、クマゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、
ヒグラシ、ミンミンゼミいろんな鳴き声が聞けた。

夕暮れ時のヒグラシの声はなんともいえない哀愁を感じる。
夏が終わって、秋が近づいてくる足跡のようだ。

残念なことに、都会ではほとんどアブラゼミだけの鳴き声しか聞こえない。
SEMIがいるだけでもまだ人が住める環境だということだろうか。

それにしてもSEMIには悪いが、うるさいなーと思っていた。


でもちょっと待てよ、

よくよく考えてみると、こいつらは必死なんだと。

それこそ魂を削って鳴いている。
どおりで心に響くはずだ。

地中で約7年間を過ごし、地上に生まれでてからは一週間しか
生きられない。

地中では木から樹液を吸いながら幼虫として暮らして、4回脱皮を
して地上に出ることにそなえる。

地上に出てからは、それこそ全力で生きるのだ。
7年間の受電を一気に放電する。

一週間。

彼らに与えられてタイムリミットだ。
その間に、鳴き、交尾をし、卵を産み、死んでいく。

なんて凄まじい生き方なんだ。

日本では古来よりSEMIはたんなるウルサイ存在ではなく、
全力で短期間を生きるSEMIに、感動と、無常観を呼び起こされてきた。

学校で習った俳句、たしか松尾芭蕉だったかな。

”閑さや 岩に染み入る蝉の声”

という句は今でも覚えている。
小さい頃はなんとも思わなかったが、今考えてみると、
その時の情景が目に浮かぶような俳句だなと思う。

SEMIは地中にいるときは、周りとの交流もなく暗闇の中で過ごす。
その状態はほとんど眠っていると思われるので、

地上に出てきた時を、生まれたとすると、SEMIの人生は

一週間。

人間の人生を70年と仮定すると。
彼らの一日は人間で言うところの10年分の人生ということになる。

そりゃー鳴くさ。全力で鳴くさ。

生きるさ。そりゃー全力で生きるさ。

死ぬことなんか考えない。考えてられない。


一日で10年分の喜怒哀楽全てを味わっているわけだから。
なんて濃密な人生だろう。

鳴き声がいつしか、自分への問いかけになっていた。
SEMIから「お前全力か?全力中年か?人生を全力で生きているか?」
と問われている気がした。

恥ずかしながら、全力では生きていない。
一日の重さは分かっていない。
無駄に過ごした日もある。
最近多いような気もする。

SEMIからしてみれば、私は無気力人間だろう。
「疲れている?お前のどこが疲れているんだよ?」
「俺は死ぬ瞬間まで鳴いているぜ。」

きっとSEMI自身は後悔はないだろう。
なぜならば全力だから。

SEMIから人間を見たときに、鳴かずにスローな動きで
何をしてるんだこいつら?面白いの?と思われているかも
しれない。

適当に食い、適当に寝、適当に仕事をし、適当にSEXをし
適当に排泄をし、そんな人生はどうなん?っとね。


無駄に命を捨てたりする人間がいる。
勉強も仕事もせずに無気力に過ごしている人もいる。

今やる気を無くしている人に言いたい。

SEMIを見ろ。

自分にも言い聞かせた夏の朝でした。

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